こんにちは。
心とキャリアのカウンセラー、山﨑ももこです。
「人生設計」という言葉がありますよね。
もっとくだけた言い方をするなら、「ライフプラン」でしょうか。
私自身、日ごろ「自分らしい働き方・生き方」という視点から、まさにそこを一緒に考えるお手伝いをさせていただいています。
そうしたなか、先日、ふとこんなことが頭に思い浮かびました。
「そういえば、私自身はどこまで『設計』して生きてきたんだろう?
ちゃんと考えてきたつもりだけれど、振り返ると『予定外』もたくさんあったな…」
同時に、「そもそも人生設計って、どこからどこまでのことを指すのか?」という素朴な疑問もわいてきました。
今日は、そのあたりの思考の流れを、ゆるくたどってみたいと思います。
振り返ってみたら、予定外だらけだった
思えば、私のこれまでの生き方は、「きっちりとした設計」とは少し離れたものだったのかもしれません。
学生時代の私は、どちらかというと真面目なタイプでした。
繊細で神経質ではあったけれど、大きくはみ出してはいない子。
だから学校を卒業して、ちゃんとした会社に就職して、安定した生活を送る。
そんな「普通の人生」を疑うことなく、とりたてて意識しないほど当たり前だと思っていました。
でも、自分の気質や特性をごまかすことはできません。
大学1年のときと、社会人になって2~3年目に適応障害のような症状で調子を崩し、結局は退職。
「私は、新しい環境が苦手。特に集団生活が本当につらい…」
そう気づいて会社を辞めたものの、「じゃあどう生きていけばいいのか」は、はっきり見えていませんでした。
そこからフリーランスとして生きていくことになるなんて、学生時代の自分からすれば、正直、想像の範囲外でした。
生活拠点についてもそうです。
幼少期から東京で育った自分が、30代に入ってから縁もなかった長野で暮らすことを選ぶとは、1ミリもイメージしていませんでした。
いまでは「都会の生活はもう厳しいな…」と感じている私ですが、かつては「便利って最高!都会は何でもある!」と思っていた時期も、たしかにありました。
ただ、それも当時の自分からすると嘘ではないんです。
その時に感じていた気持ちは、本物でした。
でも、今の私は、どこを見渡しても山が見える生活になじみ、そこで深く満たされるような気持ちを感じています。
カウンセラーになったのも、同じ流れの中にあります。
これまでのキャリアの延長で、そういう道が見えてきた。
ちょっと歩いてみたら、思った以上に自分にしっくりなじんで、さらに自分で開拓していける楽しい道だった。
だから、この道を歩き続けています。
なぜここまで変わってきたのかは、自分でもよくわかりません。
でも、その時々の自分の感覚や気持ちにしたがって動いた結果、今ここにいる。
これが、本当に正直なところです。
計画的な生き方も、流動的な生き方も、どちらも「その人らしさ」
何歳で転職をして、何歳で結婚をして、何歳でマイホームを持って…など、綿密な人生計画を立てている方もいると思います。
その生き方を否定するつもりは、まったくありません。
実際、一流のスポーツ選手など、かなり具体的な目標を掲げて、それを次々に実現している人、それ以上の成果を出している人もいますよね。
それも、ひとつの「その人らしい」生き方だと思います。
ただ、私個人の感覚としては、「人生はもう少し流動的なもの」という思いがあります。
その時に感じていたことが、1年後、3年後も続くとは限らない。
やりたいことが変わることもあるし、何か重大な出来事に直面して、価値観が根本から180度変わることだってある。
むしろ、そのほうが私にとっては自然であり、それでいいのだと思っています。
「変わってもいい」と思えると、少し楽になる
普段、相談者さんとお話していて、「計画をしっかり立てなきゃ」と考えておられる方も少なくないように感じます。
それは本当に素敵なこと。
目標があるからこそ、そこに向かって頑張って走っていける、というのも事実だと思っています。
でも、人生には予期せぬ出来事によって、変わらざるを得ないときもあります。
また、価値観が変わったときに、「一度決めたんだから変えちゃいけない」と自分を縛りつけると、かえって苦しくなってしまうこともあるのではないでしょうか。
そのときに、「変わることも自然なこと」「変わってもいい」と思えていると、少し楽になる。
そんなふうに感じるようになってきました。
私が大事にしたいのは、「今の自分」にとって、嘘のない答えを出していくこと。
人間は、日々いろんな気持ちにとりつかれ、自分の本当の気持ちさえわからなくなることがあります。
私ができるのは、ぐちゃぐちゃとした気持ちに寄り添って、その人が本当に求めるものを一緒に見つけていくお手伝い。
その時々で「今の自分にとって心地よいこと」を選び続けることこそが、「自分らしく生きる」ということなのかもしれません。
10年後の自分が想像できない。それでいい。
今の私は、50代になった自分の生き方を、はっきりとは想像できません。
大まかに「やってみたいこと」はあるのですが、その方向に進むことが本当にしっくりくるのか、ずっとそれを求めていくのかは、今はわかりません。
それくらい流動的に、「変わる可能性」を前向きに捉えて過ごしています。
「先が見えない」ということは、不安なことのようにも思えますが、実は「可能性が開かれている」ということでもあるのかもしれません。
どちらかというとネガティブで心配性なところがある私は、もしかしたら、とても苦しい50代を迎えてしまうのかもしれない…と想像してしまうこともあります。
でも、それすらも、考えたって本当のところはわからない。
だったら、あまり先回りして心配しすぎないでおこう。
そんなふうに、最近は思うようになりました。
「変わる可能性がある中で、目の前の瞬間を、できるだけ嘘のないように生きていく」
これが、私が現時点で思う「幸せに近づくための生き方」です。
今の私が想像もできないような10年後の私に会えることを、少し楽しみにしながら。
自分の心と体に正直に。 目の前のことを、淡々と、でも丁寧にやっていこうと思います。

