こんにちは。
心と働き方のカウンセラー、山﨑ももこです。
数日前、近所を車で移動していたとき、ふと「空が広いな」と感じました。
私が住んでいる長野では、市街地から5分、10分も車を走らせたら、ビルというビルはまったく見えなくなります。
見えるものは、背の低い民家や田園風景。そして、遠くにアルプスの山々。
視界を遮るものがないので、目に入る空の割合がとても多いのです。
「そういえば、東京のど真ん中では左右にビルが立ち並んで、空なんて真上くらいにしか見えなかったなぁ」
そんなことを、ふと思い出しました。
空間のゆとりが心を軽くしてくれる
長野で過ごして感じることの一つに、カフェやレストランの「空間の広さ」があります。
2人で来店しても、4人掛けテーブルを広々と使えることが多いんです。
座席と座席の間隔もゆったりしていて、「東京だったら、この空間にあと2席は入るだろうな…」と感じるほど。
隣を意識しながら話をする必要もないし、変に縮こまることなく、のびのびと過ごせる。
この「物理的なスペース」が、私の心にホッとする感覚をもたらしてくれています。
3分後の電車を待てなかった日々
実は、私は6年ほど前に東京から長野へ移住しました。
移住の理由は、そんなにたいそうなことではなく、ただ地方で暮らしたかったから。
ただ、その裏には「都会のライフスタイルや雰囲気が、その当時の自分にはフィットしなくなっていた」というのもかなりあります。
だいぶさかのぼりますが、私は大学時代の10代後半と、社会人になって間もない20代前半の2回、適応障害のような心身の不調に陥ったことがあります。
そのころにはなんとなく、「もう都会という環境自体が合わない」ような感覚をうっすら感じていました。
どこか息苦しくて、
「私の居場所はここではない」
そんな、うっすらとした違和感が、体の不調にも出ていたのかもしれません。
それでも東京にいた頃の私は、当たり前のように時間に追われていました。
3分後には次の電車がくるのに、その1本前の電車に何とか乗るために全力疾走。
今思うと、「あの3分がそんなに重要だったのだろうか」とも感じますが、あの頃の私には、「失うことができない3分」だったようにも思います。
動き続けることが当たり前だった
限られた時間を、できる限り充実させ、有意義に使いたい。
その気持ちは、多くの人が自然に抱くものだと思います。
私自身、東京にいた頃は、なんとなく「動き続けていること」が当たり前でした。
会社をやめてフリーランスになってからは、少しずつ自分のペースで過ごすようになっていたけれど。
それでも都会の激しい波に飛び込み、人の渦の中で動き続けていた自分の姿を、まだ思い出すことができます。
今の生活は、当時とは大きく違います。
360度ぐるっと山に囲まれ、田んぼや畑だらけの中で過去を振り返ると、あの頃の自分は「とにかく余白を埋めなければならない」と感じていたような気がするのです。

それは、ちょっと「めんどう」でもある時間
正直なところ、社会の波や情報に流されて忙しくしているほうが、楽な面もあるのではないかと思っています。
生活に余白ができると、嫌でも自分自身と向き合わなければならないからです。
自分は何を考えているのか、どう感じているのか、これからどんなことをしたいのか…。
そのようなことと向き合う途中では、見たくもなかった自分の気持ちを直視したり、気づかないほうが楽だった感情と出会うこともあります。
それはちょっぴり、めんどうな時間でもあるのかもしれません。
でも、本当に心豊かに生きるには、ちゃんと立ち止まって「感じる・思う・考える」をしないと気づけないことも、やっぱりあるのだと思います。
長野に来て、6年。
空の広さや席のゆとりに助けられながら暮らすうちに、「この『めんどうな時間』も、そのまま受け止め、大事にできるようになってきたのかもしれないな」と感じる瞬間が、少しずつ増えてきました。
あえて余白をつくる、という生き方
私は生活環境を変え、「何もないこと」の豊かさに気づきました。
ふと時間ができたとき、まだ「何かしないと…」と、焦りのような気持ちを感じることもあります。
それでも、「まあいいか、別に何もしなくても」と思える頻度が増えてきました。
時間に追われながら生活することが、必ずしも悪いわけではないと思います。
私自身、ガムシャラに時間と戦った時期があったからこそ成長できたところも、きっとあるはず。
それでも、余白を埋め続けることが当たり前になっている日々なら、「あえて余白をつくること」にも、同じくらい大切な意味があるように思うのです。
もしあなたも今、「忙しくていろんなものに追われているけれど、このままではいけない気がする」、あるいは「本当は休みたいけれど、休めない」と感じていたら。
無理に何かをしなくてはと思っていたところを、一度だけでも「何もしない」でいてみる。
そんなところから始めてみてもいいのかもしれませんね。
窓から差し込む光の揺らぎを眺めながら、ゆっくりとコーヒーを飲む。
何の予定も入れず、ただボーっと静かに過ごす。
一見、なんの生産性もなさそうな余白の時間から、素の自分が見えてくることも、きっとあると思います。

