コラム

10年後の自分は、予想できなくていい。「変わり続ける」ことを許す生き方

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こんにちは。
心とキャリアのカウンセラー、山﨑ももこです。

「人生設計」という言葉がありますよね。

もっとくだけた言い方をするなら、「ライフプラン」でしょうか。

私自身、日ごろ「自分らしい働き方・生き方」という視点から、まさにそこを一緒に考えるお手伝いをさせていただいています。

そうしたなか、先日、ふとこんなことが頭に思い浮かびました。

「そういえば、私自身はどこまで『設計』して生きてきたんだろう?
ちゃんと考えてきたつもりだけれど、振り返ると『予定外』もたくさんあったな…」

同時に、「そもそも人生設計って、どこからどこまでのことを指すのか?」という素朴な疑問もわいてきました。

今日は、そのあたりの思考の流れを、ゆるくたどってみたいと思います。

目次

振り返ってみたら、予定外だらけだった

思えば、私のこれまでの生き方は、「きっちりとした設計」とは少し離れたものだったのかもしれません。

学生時代の私は、どちらかというと真面目なタイプでした。

繊細で神経質ではあったけれど、大きくはみ出してはいない子。

だから学校を卒業して、ちゃんとした会社に就職して、安定した生活を送る。

そんな「普通の人生」を疑うことなく、とりたてて意識しないほど当たり前だと思っていました。

でも、自分の気質や特性をごまかすことはできません。

大学1年のときと、社会人になって2~3年目に適応障害のような症状で調子を崩し、結局は退職。

「私は、新しい環境が苦手。特に集団生活が本当につらい…」

そう気づいて会社を辞めたものの、「じゃあどう生きていけばいいのか」は、はっきり見えていませんでした。

そこからフリーランスとして生きていくことになるなんて、学生時代の自分からすれば、正直、想像の範囲外でした。

生活拠点についてもそうです。

幼少期から東京で育った自分が、30代に入ってから縁もなかった長野で暮らすことを選ぶとは、1ミリもイメージしていませんでした。

いまでは「都会の生活はもう厳しいな…」と感じている私ですが、かつては「便利って最高!都会は何でもある!」と思っていた時期も、たしかにありました。

ただ、それも当時の自分からすると嘘ではないんです。

その時に感じていた気持ちは、本物でした。

でも、今の私は、どこを見渡しても山が見える生活になじみ、そこで深く満たされるような気持ちを感じています。

カウンセラーになったのも、同じ流れの中にあります。

これまでのキャリアの延長で、そういう道が見えてきた。

ちょっと歩いてみたら、思った以上に自分にしっくりなじんで、さらに自分で開拓していける楽しい道だった。

だから、この道を歩き続けています。

なぜここまで変わってきたのかは、自分でもよくわかりません。

でも、その時々の自分の感覚や気持ちにしたがって動いた結果、今ここにいる。

これが、本当に正直なところです。

計画的な生き方も、流動的な生き方も、どちらも「その人らしさ」

何歳で転職をして、何歳で結婚をして、何歳でマイホームを持って…など、綿密な人生計画を立てている方もいると思います。

その生き方を否定するつもりは、まったくありません。

実際、一流のスポーツ選手など、かなり具体的な目標を掲げて、それを次々に実現している人、それ以上の成果を出している人もいますよね。

それも、ひとつの「その人らしい」生き方だと思います。

ただ、私個人の感覚としては、「人生はもう少し流動的なもの」という思いがあります。

その時に感じていたことが、1年後、3年後も続くとは限らない。

やりたいことが変わることもあるし、何か重大な出来事に直面して、価値観が根本から180度変わることだってある。

むしろ、そのほうが私にとっては自然であり、それでいいのだと思っています。

「変わってもいい」と思えると、少し楽になる

普段、相談者さんとお話していて、「計画をしっかり立てなきゃ」と考えておられる方も少なくないように感じます。

それは本当に素敵なこと。

目標があるからこそ、そこに向かって頑張って走っていける、というのも事実だと思っています。

でも、人生には予期せぬ出来事によって、変わらざるを得ないときもあります。

また、価値観が変わったときに、「一度決めたんだから変えちゃいけない」と自分を縛りつけると、かえって苦しくなってしまうこともあるのではないでしょうか。

そのときに、「変わることも自然なこと」「変わってもいい」と思えていると、少し楽になる。

そんなふうに感じるようになってきました。

私が大事にしたいのは、「今の自分」にとって、嘘のない答えを出していくこと。

人間は、日々いろんな気持ちにとりつかれ、自分の本当の気持ちさえわからなくなることがあります。

私ができるのは、ぐちゃぐちゃとした気持ちに寄り添って、その人が本当に求めるものを一緒に見つけていくお手伝い。

その時々で「今の自分にとって心地よいこと」を選び続けることこそが、「自分らしく生きる」ということなのかもしれません。

10年後の自分が想像できない。それでいい。

今の私は、50代になった自分の生き方を、はっきりとは想像できません。

大まかに「やってみたいこと」はあるのですが、その方向に進むことが本当にしっくりくるのか、ずっとそれを求めていくのかは、今はわかりません。

それくらい流動的に、「変わる可能性」を前向きに捉えて過ごしています。

「先が見えない」ということは、不安なことのようにも思えますが、実は「可能性が開かれている」ということでもあるのかもしれません。

どちらかというとネガティブで心配性なところがある私は、もしかしたら、とても苦しい50代を迎えてしまうのかもしれない…と想像してしまうこともあります。

でも、それすらも、考えたって本当のところはわからない。

だったら、あまり先回りして心配しすぎないでおこう。

そんなふうに、最近は思うようになりました。

「変わる可能性がある中で、目の前の瞬間を、できるだけ嘘のないように生きていく」

これが、私が現時点で思う「幸せに近づくための生き方」です。

今の私が想像もできないような10年後の私に会えることを、少し楽しみにしながら。

自分の心と体に正直に。 目の前のことを、淡々と、でも丁寧にやっていこうと思います。

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